チリ車II型について 投稿者:落馬童子 投稿日: 1月 6日(土)13時07分22秒
現在私はチリIIを1/35ででっち上げようと、多分に(殆どかもしれませんが)推測を交えて作図を行っているのですが、このチリIIの砲塔はその武装がチト車に準じている事、寸法(全高)がチヌ車と一致する事などから、「日本の戦車」上巻掲載のチト車断面図に示されているチヌ車砲塔に五式(長)II型を搭載したチト車生産型(もしくは写真の現存する溶接/鋳造ハイブリッド式ではない方の、従来式試作車)用砲塔であると勝手な推測をしているのですが、
@ このチヌ車砲塔流用のチト車砲塔というのは、その装甲厚までチヌ車と同様などでしょうか? またチト車の実車写真では砲身基部に露出している補器が上部の二つだけでなく、下部にも一つ有りますが、チリ車の図面には下部のそれが描かれておらず、ナト車の実車にも存在しません。
A これはチリ車、ナト車の主砲が半自動装填装置付きであって、チト車のそれが同装置を除去したモノである事からくる差異なのでしょうか? そして、
B 元々チリ車用であった主砲から同装置を除去したチト車の主砲が五式(長)II型ですから、同装置を備えたチリ車の主砲の名称は五式(長)I型でいいんでしょうか?
以上の様な内容なのですが、お応えを頂ければ幸いです。
どうか宜しくお願い致します。
投稿者:むー 投稿日: 1月 7日(日)02時53分37秒
>五式関連の質問
σ(^^)のところにも五式関係の資料は「日本の戦車」とPANZER90/12号(日本の戦車と装甲車輌に再録)ぐらいしかありません。
この掲示板での過去ログや他にも資料をあたって見ますのでもう少しお待ちを。
投稿者:あきら式改 投稿日: 1月 7日(日)05時30分26秒
5式チリに関してはデルタ出版の帝国陸海軍の戦闘用車両に少し載ってます。(個人的に私この本はあまりに旧軍車両について批判的とおもうのですが。)
チリIIについて 投稿者:あきんど 投稿日: 1月 8日(月)00時06分02秒
しかしチリではなく、わざわざチリIIですか でも、この車輛は計画だけで試作もされてません 当然、写真も存在しません。
作られるとしても、想像で作られるしかないのではないでしょうか
とりあえず質問のされている内容に一致するかわかりませんがわかる範囲で書きます
>チリIIの砲塔はその武装がチト車に準じている事、寸法(全高)がチヌ車と一致する事などから、「日本の戦車」上巻掲載のチト車断面図に示されているチヌ車砲塔に五式(長)II型を搭載したチト車生産型(もしくは写真の現存する溶接/鋳造ハイブリッド式ではない方の、従来式試作車)用砲塔であると勝手な推測をしているのですが、
まず、上記質問の内容から砲塔を推測すると下記砲塔とごちゃごちゃになっているような気がします。
(1) 五式7糎半戦車砲I型でチヌの砲塔搭載用に改造されたやつ
(2) チヌにチトの砲塔を載せたやつ、つまり五式7糎半戦車砲II型搭載のやつ
(3) チトの試作車輛で五式7糎半戦車砲II型を搭載する前に三式7糎半戦車砲を搭載したやつ
(1)の場合、
基本的に砲塔の構造はチヌと同じです。三式7糎半戦車砲搭載用砲塔に搭載できるように五式7糎半戦車砲I型を改造したもの
(2)の場合、
チトの砲塔をそのまま、チヌに搭載したものなので、当然、構造はチトの砲塔と同じです。
(3)の場合は、
資料不足であまり良くわからないのですがチトと基本的には同じと思います。
>元々チリ車用であった主砲から同装置を除去したチト車の主砲が五式(長)II型ですから、
同装置を備えたチリ車の主砲の名称は五式(長)I型でいいんでしょうか?
そうです。装弾機をもつ戦車砲がI型で、チリ用の戦車砲です。
装弾機を除去した戦車砲がII型で、チト用の戦車砲です。
またその他にチヌの砲塔に搭載できるように改造されたI型があります。
多分このチヌの砲塔に搭載可能なI型の存在から、チリIIの砲塔が想像されたと思うのですが
実際そんなことはありえないと考えます。
将来、99式8糎高射砲の搭載を想定しているチリにチトより装甲が薄いチヌの砲塔を搭載するぐらいなら
チヌそのものにその砲塔を搭載した方が現実的です。
追加 投稿者:あきんど 投稿日: 1月 8日(月)00時10分09秒
チリIIの砲塔はチリに基本的に同じ物であると考えます。
チトとチヌの砲塔について 投稿者:めけけ 投稿日: 1月 8日(月)01時57分29秒
私なら三菱の図面によるチト車(チヌ砲塔というやつ)そのものを作ってチリII言い張るところです(笑)。ただし、昔計ったらたしか寸法は違ってました(子供が起きるので資料を取りにいけない)。それと正面装甲は50ミリだと思うのでデータとは違います。
>その他にチヌの砲塔に搭載できるように改造されたI型があります。
というのは勉強不足で初めて知りましたが、私はそもそもチヌの砲塔こそチト鋼板溶接砲塔の流用と考えてます(もう却下されてたらすいません)。これは19年5月チト試作車(57ミリ砲装備)完成ならびにチヌ開発開始、同8月チト「とりあえず」九〇式野砲に換装、ならびにわずか3か月でチヌ試作車完成という時間経過(戦マガ別冊)から考えて自然だからです。この溶接砲塔=チヌ車に五式戦車砲Uが搭載されるのは後日ですが(Pz90/12)、当初より五式戦車砲Uを装備するよう計画されていたからこの実験もなされなかったのでは?すなわち
>(3) チトの試作車輛で五式7糎半戦車砲II型を搭載する前に三式7糎半戦車砲を搭載したやつ
=三菱の図面のチト砲塔(除く砲)=チヌ砲塔へ流用という構図ですがいかがでしょう?(根拠の後は特に我田引水)なお冒頭で50ミリ装甲とした根拠は計画重量20tの名残と言いたいところですが、これまた珍説の我田引水となってしまうというオチ。
おわびと訂正 投稿者:めけけ 投稿日: 1月 8日(月)02時04分08秒
当初より五式戦車砲II装備するよう計画されていたからこの実験もなされなかったのでは?→なされたのでは?
続・チリ車II型について 投稿者:落馬童子 投稿日: 1月 8日(月)03時30分41秒
>あきんどさん
お応えありがとうございます。
チリIIの砲塔を前述の様に捉えたのは
@チリIIの車体はチリの車体をディーゼル化に伴い機関室を縮小、すなわち後部が短縮されたモノである。(チリUの全長はチリより短い。)
AチリIIの全幅はチリに同じ。 「新中戦車」ではなくあくまでチリ車のII型でありますから、副砲の有無を除き機関室以前の車体及び脚廻りはチリと同一の規格であると思われる。
BチリIIの全高はチリより低い。 つまりチリUの砲塔はチリより小型である。
CチリIIは装填装置も8.8糎砲も搭載を予定していない。
Dチリの車体高+チヌの砲塔高はチリIIの全長に等しい。
Eチトのハイブリッド砲塔の制作は順調にはいかなかった。(生産車には適用されない?)
E「日本の戦車」上巻のチト断面図(三菱重工作成?)は明らかにチトの正式、もしくは準正式図であると思われるが、チヌ砲塔に五式(長)砲を搭載している。(チトの図ですから五式(長)I型ではなくII型でしょう。)
以上の理由から
−少なくとも、チリIIの砲塔はチリのそれより全高の低い小型のモノである。
−チト用の五式(長)砲搭載のチヌ型砲塔は設計されていた。
と推測しましして、これを組み合わせれば模型に於いてチリIIをでっち上げる為の大まかなアウトラインを得られるのでは、と考えた次第であります。
(尚、チリIIのデータはPANZER本誌の四式/五式特集からです。 別冊ムック版では割愛されていました。)
I型砲搭載のチヌ型砲塔について浅学ながら初聞でありました。 貴重な情報を有り難う御座います。
私の書き込みに対し むー さんや あきんど さんからのレスが掲示されているのを見て、大袈裟な様ですが無性に感激してしまいました。 これまで私の廻りのモデラーと言えば、独軍車両の塗膜片を有り難がっても、チトの引き上げには全く興味を示してくれない様な人々でしたので。
そもそも正統派の旧軍車両ファンから白眼視されてしまう様なアイテムを追求する様になったのは、本来喜ぶべき筈の昨今の旧軍関係車両のリリースラッシュに因ってでありました。 アリマの展開が停滞してから後はまさか実現しないであろうと考えていたナト車の様なアイテムのキット化が現実のものとなり、Yキャットやフェアリー製品の登場の為放棄されたチト車チリ車の未成品を前にして二度とこの轍は踏むまいと、敢えて亜流な選択を採る様になりました。
GKメーカーやワンフェスディーラーによって立体化される危険が低く、それでいてある程度の資料が存在し、且つ不明なディティールを他の車両から補完する事が可能、この様な基準から選び出したのがホリ車、ケホ車、チリIIでした。
独軍計画車両の数万円もするGKが幅を効かせている今であれば、旧軍のそれも多少は胡散臭さを薄めて受け止めて貰えるのでは?との考えから作図に入りました。
結局これ等も解消出来ない疑問にぶつかり、納得のゆく図ができないまま現在に至っている次第でありますが、その様な中にあって比較的(個人的には)そのアウトラインの纏めることが出来たのがチリIIでした。
上記の推測に加えて、チヌ車には砲塔重機が有りませんのでその搭載位置をチトと同様と仮定しまして、残るは急場凌ぎの航空用ガソリン発動器から旧軍伝統の空冷ディーゼルへの換装に伴う機関室の縮小、つまり外形的には車体/脚廻りの短縮と車体後部ディティールの変化という事になります。 脚廻りの短縮に関してはその全長から判断して転輪が片舷7個になってチト車に準じた配置になるか、チハ系からチヘ系への変化と同様に同6個で転輪間隔が広がるかではないでしょうか。 最後に機関室上面のディティール及び車体後端の形状で、こればかりは正確な考証は不可能なのですが憶測に依って強引に進めますと、機関出力の増大はチヘ系からチト系のそれに比較して規模の小さい変化ですのでチト車のそれをそのまま踏襲させてしまってもあながち的外れではないのでは?と考えています。(その上で戦後の61式中戦車−昔はこの様に呼称していましたね−の車体は多分にチヘ系、チトの面影を残しており、その重量、機関出力もほぼ同等でありますから、エッセンスとして取り入れようかと思っています。)
以上の様な調子で作図を行っているのですが、どうしても独りよがりなモノになってゆくのは避けられません。 皆さんのご意見をお伺いしたいと思うのですがお願い出来ますでしょうか?
五式について 投稿者:むー 投稿日: 1月 8日(月)04時14分57秒
とりあえず日本の戦車 日本戦車研究室 特選過去ログに「五式戦車チリ についてのあれこれ その1、その2」を
UPしました。
この掲示板上で過去に論議された実際の五式戦車やプラモデル(ガレキ、スクラッチ)等の話題です。
>落馬童子 さん
昨日から五式関連の資料を眺めていました(^_^;)。
あきんどさんのRESを拝見してようやく落馬童子さんの尋ねられた意味がわかりました(^_^;)。
やはりあきんどさんの仰る様に勘違いをなされていますね。
>このチリIIの砲塔はその武装がチト車に準じている事、寸法(全高)がチヌ車と一致する事などから、
チリIIは「日本の戦車」によると機関を過給器付ディーゼルエンジン(500HP/1600rpm)に改めたものです。
ちなみにチリとチリIIのスペックは
日本の戦車一覧に書いてありますので参考にしてください。
他の資料を見てもチリIIの砲塔について記載されているものはありません。
>@ このチヌ車砲塔流用のチト車砲塔というのは、その装甲厚までチヌ車と同様などでしょうか?
四式中戦車チト試作1号車の砲塔のことでしょうか?
詳しいスペックは判りませんが、三式中戦車チヌの砲塔を流用ものと思われます。
というかチト試作車の砲塔を利用して三式中戦車チヌの砲塔が作られたというのが正しいのでは。
三式中戦車改の砲塔
こちらでしたら、四式中戦車チトの鋳造砲塔を搭載したもので実験車として存在しました。
しかしチヌ車のサスペンションがへたらずもったのでしょうか?
>A これはチリ車、ナト車の主砲が半自動装填装置付きであって、チト車のそれが同装置を除去したモノ
>である事からくる差異なのでしょうか?
「日本の大砲」によると昭和19年7月に新中戦車甲(四式中戦車チト)の兵装について試製57粍戦車砲を止め、
7糎半を搭載することになった為、急遽自動装填機を取り外すとともに平衡錘を付加することになったとあります。
>B 元々チリ車用であった主砲から同装置を除去したチト車の主砲が五式(長)II型ですから、同装置を
>備えたチリ車の主砲の名称は五式(長)I型でいいんでしょうか?
その通りです。
レス 投稿者:あきんど 投稿日: 1月 8日(月)04時38分54秒
めけけさんへ
>私はそもそもチヌの砲塔こそチト鋼板溶接砲塔の流用と考えてます(もう却下されてたらすいません)。これは19年5月チト試作車(57ミリ砲装備)完成ならびにチヌ開発開始、同8月チト「とりあえず」九〇式野砲に換装、ならびにわずか3か月でチヌ試作車完成という時間経過(戦マガ別冊)から考えて自然だからです。
残念でした。チヌの開発は確かに短い期間ですが、18年中です。
したがって、19年のチトの開発時とは時期がずれてますので流用では御座いません。
それにチト1号車とチヌの砲塔の形状は明らかに違います。
三式七糎半戦車砲を搭載したのは、試製57粍戦車砲用砲塔のチト1号です。
落馬童子さんへ
>副砲の件ですが
生産型のチリにも一式37粍砲を搭載しなかった可能性があります。
あくまで、現在の残っいる写真の車輛は試作車輛のものですから
>チリIIの砲塔はチリのそれより全高の低い小型のモノである。
チリIIは、ディーゼル搭載のためか?車体全体がコンパクトになっています。
また、五式七糎半戦車砲I型の搭載だけなら、あの巨大な砲塔は必要ありません。
チリはチトより生産効率を考えて作られた戦車ですので新型戦車砲の開発期間を考慮した結果
八糎高射砲搭載を放棄された可能性はあります。
だとすると、砲塔自体も小型化している可能性はあります。
>チトの断面図の件ですが
チトには、試作車輛が正確には2つあります。1号と2号です。
1号の砲塔は、元々試製57粍戦車砲用に作られたものなので大きさは、チヌの砲塔にサイズ的に同じです。
そして、この車輛に三式七糎半戦車砲が搭載されました。
多分、この車輛の断面図だと思います。
むーさんへ
>チト試作車の砲塔を利用して三式中戦車チヌの砲塔が作られたというのが正しいのでは。
チト1号車は元々のチトです。ですから、チヌの砲塔とは違います。
>チヌ車のサスペンションがへたらずもったのでしょうか?
もたんでしょうな
戦車砲の後座長は、三式より五式の方が25糎ほど短いので砲塔自体は逆に小型化できるかもしれませんが
それを補って余りあるほど砲自体の重量が増大するでしょうからまして、そのままチトの砲塔を載せるとなると絶対無理ですね
追記・チリII関連 投稿者:落馬童子 投稿日: 1月 8日(月)04時46分07秒
>めけけさん
長い文章を作成している間にお応えを戴いたのですね。 有り難う御座います。
>そもそもチヌの砲塔こそチト鋼板溶接砲塔の流用と考えています。
確かに説得力に富んだ流れですね。 目前に迫った米軍の来寇という要素を考慮してもチヌの研究から本格生産までは他の車種のそれに比べて驚異的な早さですが、この様な事情であったならば納得がいきます。
>むーさん
>チリIIの砲塔について記載されているものはありません。
確かに直接チリIIの砲塔に関する記述は有りませんが、全高のデータが有りますので、全幅がチリと等しくあくまでチリ車のII型と言う前提で、脚廻りや戦闘室のサイズが同じとするならば、チリに比べて全高の低いチリIIは、より小型の砲塔という事になると思うのですが?
その上で前回のDで述べましたチリの車体高+チヌの砲塔高はチリIIの全高に等しいとの値から、他に高さの一致する砲塔も無く、新規設計の砲塔であっても全く数値が一致する可能性は低いと考え、五式(長)II型砲装備のチヌ型砲塔ではと、推測をしたのですが。
久々に白熱した議論だ(^^) 投稿者:むー 投稿日: 1月 9日(火)01時39分56秒
>めけけさん、あきんどさん
>私はそもそもチヌの砲塔こそチト鋼板溶接砲塔の流用と考えてます(もう却下されてたらすいません)。
σ(^^)も全く同じ考えです。
あきんどさんは否定されていますが、「四研史」(防衛図書館及び偕行文庫所蔵)によると三式中戦車チヌは
昭和19年5月に研究開始、昭和19年9月に九〇式野砲搭載型が竣工、昭和19年10月に試験完了という突貫作業で開発が完了しています。
一方、四式中戦車チトは昭和17年研究開始、試製57mm砲搭載試作車の完成は昭和19年5月となっています。
ですから、三式中戦車チヌの砲塔は四式中戦車チト試製57mm砲搭載試作車の砲塔を流用した可能性が高いのではないでしょうか。
>あきんどさん
>(3)チトの試作車輛で五式7糎半戦車砲II型を搭載する前に三式7糎半戦車砲を搭載したやつ
四式中戦車チトの試作車でそのような試作車があったのでしょうか?
それじゃそのまま三式中戦車チヌの砲塔です(^_^;)。
>めけけさん
>この溶接砲塔=チヌ車に五式戦車砲Uが搭載されるのは後日ですが(Pz90/12)、当初より五式戦車砲IIを装備
>するよう計画されていたからこの実験もなされたのでは?
三式中戦車改はチヌの車台に四式中戦車チトの鋳造型砲塔を載せたものです。
>あきんどさん
>チトには、試作車輛が正確には2つあります。
ここまで書いてやっと気がつきました(^_^;)。
σ(^^)は四式中戦車チトの試作車が2輌しか完成していないと思い込んでいましたが、PANZER90/12(同増刊 日本の戦車と装甲車輌に再録)をよく見ると試作57mm砲搭載砲塔は2種類(後に三式中戦車チヌに流用された砲塔と、溶接型のチト用砲塔)、そしておなじみの鋳造型のチト砲塔の計3種類が製作されていたんですね。
>落馬童子 さん
落馬童子 さんの言わんとすることがようやく理解できました。
そしてその根拠も納得できます。
しかしチリIIのデータはPANZER90/12と日本の戦車では若干違いますのでご参考までに併記します。
五式中戦車II型
全備重量 全長 全幅 全高 その他
約35t 6.492m 3.050m 2.792m 同じ 「日本の戦車」
約35t 6.402m 3.050m 2.792m 同じ 「PANZER90/11」
「日本の戦車」の諸元の方が90mm長くなっています。
チリIIという名前になっているから五式中戦車チリの直接の後継だと思われますが皆様の意見をまとめてみると四式中戦車と五式中戦車の双方の特色を色濃く残しているのが解りました。
>チヌ車には砲塔重機が有りませんのでその搭載位置をチトと同様と仮定しまして
チリIIの砲塔は四式チトの溶接型砲塔のままでよろしいのでは。
>脚廻りの短縮に関してはその全長から判断して
チハ系列と同じ6個の転輪では重量の関係から不十分で大口径の転輪にしなくてはいけないでしょう。
ここは素直にチトと同じ7個の転輪で良いのでは。
>最後に機関室上面のディティール及び車体後端の形状
これは難問ですね。
チトの機関室上面の形状すら正確にはわかりませんからね(^_^;)。
明けましておめでとうございます 投稿者:新日本機甲 投稿日: 1月 9日(火)02時19分56秒
皆さんが正月早々チリ話で盛り上がっているのでいても立ってもおれず。小生も参戦させていただきます。
チリIIの全長関して:確か30センチ程短いのですが後部のマフラーがないか転輪一つ分減っている(7個転輪)のではじゃないでしょうか?
小生もチヌ砲塔はチト車用砲塔の転用だと解釈しています。「日本の戦車」の試製チトは「一つ前か後」の砲塔なのでは?実際に制作された砲塔を流用したのではなく設計図を流用して作ったのではないでしょうか。これならチヌ車の開発期間を大幅に短縮できます。根拠:「三菱図面」のチト車は明らかにチヌ砲塔だから。
>チリの車体高+チヌの砲塔高はチリIIの全高に等しいとの値から、
いやあ素晴らしい推理です。盲点だったなあ。
一般論ですが同出力である場合、ガソリン機関よりもディーゼル機関のほうが大型化します。
以前読んだ本によると当時、日本軍はチリ車よりもチト車を戦力化する気だったようです。画餅ですなあ。
>I型砲搭載のチヌ型砲塔
はい。3年前に小生も作りました。キヤコンに送ったら没だった。
パンツァーのチリ図面:キューポラの形が妙で、ディティールが足りないのは、元にした「原図がそうだったから」ではないでしょうか?
カト車に関して:カト車もチリ車の系列車両と解釈しています。かつて側面図(正規のものではない)を見たことがあります。ほぼホリ車なのですが最上面が屋根型に緩やかに尖っていました。
レス 投稿者:あきんど 投稿日: 1月 9日(火)03時16分34秒
むーさんへ
>昭和19年5月に研究開始、昭和19年9月に九〇式野砲搭載型が竣工、
昭和19年10月に試験完了という突貫作業で開発が完了しています。
一方、四式中戦車チトは昭和17年研究開始、試製57mm砲搭載試作車の完成は昭和19年5月となっています。
う〜ん
記憶だけで書き込むものではないですね
調べてみると、その通りみたいです。(^^;
めけけさん申し訳無い。
>三式中戦車チヌの砲塔は四式中戦車チト試製57mm砲搭載試作車の砲塔を流用した可能性が高いのではないでしょうか。
試製57粍戦車砲搭載の1号試作車に使用されている砲塔とチヌの砲塔の砲塔は、装甲の材質が違うと考えられるので別ものだと考えます。
チトから陸軍の規格を無視して三菱が装甲板の製造を独自に行なっています。
チヌは陸軍の規格で製造されていたとはずです。(これは、自信なし)
ですからそのまま転用されたとは思えません。
しかし、試作新砲塔チハとチホの砲塔が類似していて おそらく、チホの砲塔をチハへ転用したと思われることを考えると
チヌの場合も開発の時間を惜しんでチトの試製57粍戦車砲用砲塔の図面を利用した可能性はあります。
チト1号車は、後に三式七糎半戦車砲に転換して運用実験をしていますから諸兄方々のご指摘の通りその可能性は高いと考えます。
>チトの鋳造型砲塔
砲塔は防弾鋳造製ですが、三菱が大きな砲塔を鋳造することに不安を覚えた結果3分割して作り溶接してあります。
従ってチトの砲塔は試製57粍戦車砲用砲塔と五式七糎半戦車砲II用砲塔の二種類だけです。
追加 投稿者:あきんど 投稿日: 1月 9日(火)03時22分34秒
チトの試製57粍砲搭載試作車の完成は昭和19年5月 三式七糎半戦車砲への換装が8月です。
これに対してチヌは9月ですから確かに転用の可能性は高いですね
チリUの見解 投稿者:あきんど 投稿日: 1月 9日(火)03時38分30秒
個人的見解なんですがチリIIは、チリの量産型じゃないかと考えています。
つまり、チリはあくまでも試作車であると
そもそも、チリの砲塔が大きいのは
99式八糎高射砲改に換装するためといわれていますが元々は自動装填装置を搭載するためではなかったのではないのでしょうか
五式七糎半戦車砲を想定して作られたチリにあれほど巨大な砲塔は必要ないはずです。
チトの場合などの同じように砲塔を換装すればいいと
しかし、自動装填装置は制作できず半自動装填装置になったため、砲塔を大きくする必要がなくなった
そのため生産車両では、砲塔を小さくし、また、大きさも、チリよりコンパクトになったのでないのでしょうか
私的「五式II型中戦車」考察 投稿者:ARP 投稿日: 1月10日(水)21時40分02秒
ども、五式戦車の話が盛り上がっているトコ楽しく拝見しておりました。
で、少々私も意見を出そうかな〜と思いましたしだいで。それでは順番に。
1.五式II型は五式の後継車ではな〜い。
元々、500hpクラスのディーゼルエンジンの開発が間に合わないために、あえて中古の航空機エンジン(陸軍の九五式戦闘機のエンジンだったと記憶してます。)
使用して作られたのが五式の訳ですが、軍側はあくまでディーゼルエンジンにこだわっていましたので(軍の横槍を交わす意味も含めて。)五式II型の計画自体、五式の開発と同時進行で進められたと考えるのが妥当かと思います。ですから、五式II型の主兵装が75粍砲に限定されるのもうなずけると思います。
(実際、五式の後継でしたら「チル」とか「五式改」とか「六式」なんかの名前が出てきても良いのにあくまで「五式II型」ですから。)
2.五式II型の形状
私が「五式II型」の形状を考える上で思ったのが「五式戦車の技術を応用した四式戦車」てぇのが一番しっくりするとです。
単純に考えて五式にディーゼルエンジン乗せて、はいできあがりと言うのが一番楽ですが、そ〜なると寸法の問題とか車体後部の形状とかに問題が出てきますので却下ですね(^_^)。
でぇ私の考えた組み合わせですが。
砲塔・・・チリのまんま。
車体・・・エンジンの関係上(チトのエンジンに過給器を付たもの。)チトに似た
ものに。(これだと車高が若干低くなるはずです。)
足回り・・重量の関係からチリ車の足回りの流用
以上です。こんな形状どうでしょうかね?
今日から3年目に突入 投稿者:むー 投稿日: 1月11日(木)00時30分19秒
>新日本機甲 さん
>小生もチヌ砲塔はチト車用砲塔の転用だと解釈しています。「日本の戦車」の試製チトは「一つ前
>か後」の砲塔なのでは?実際に制作された砲塔を流用したのではなく設計図を流用して作ったので
>はないでしょうか。これならチヌ車の開発期間を大幅に短縮できます。根拠:「三菱図面」のチト
>車は明らかにチヌ砲塔だから。
三式についての文章を昔の戦マガで見た記憶があったので調べたら戦マガ79/3号に当時三菱の技術者だった
大高繁雄氏が「三式中戦車」という題で寄稿していました。
これによると試作年度は昭和18年。砲塔についての記載は「砲塔本体は、形状が水平方向六面体、平板の
溶接構造で新規設計のものになっているが、これに取付けられた展望塔、ハッチその他のアクセサリーなど
は、一式の部品をそのまま流用している」と書かれていました。
試作年度は「四研史」の19年度とも違う???
>一般論ですが同出力である場合、ガソリン機関よりもディーゼル機関のほうが大型化します。
参考までにチリIIとM4A3E8の諸元を比較しました。
全長 全幅 全
チリII(空冷V12気筒ディーゼル 500HP/1600rpm)6.492m 3.050m 2.792m
M4A3E8(空冷V8気筒ガソリン 500HP/2600rpm) 5.883m 2.987m 3.017m
61式 (空冷V12気筒ディーゼル 570HP/2100rpm)6.300m 2.950m 2.490m *注 ターボ過給機付
>あきんどさん
>チトの試製57粍戦車砲用砲塔の図面を利用した可能性はあります。
やはり図面だけの転用みたいですね。
>チトから陸軍の規格を無視して三菱が装甲板の製造を独自に行なっています。
この辺りの記述も昔の戦マガに書いてあったと記憶しています。
今度探しておきます。
>三菱が大きな砲塔を鋳造することに不安を覚えた結果
>3分割して作り溶接してあります。
まったく別の話ですが、戦後敗戦処理の為海軍工廠に派遣された旧陸軍技術将校が海軍の鋳造技術に驚いた
という話を何かの本で読んだ記憶があります。(陸海軍の技術協力が無かったのが惜しいです)
>チリIIは、チリの量産型じゃないかと考えています。
チリは試作、チリIIはペーパープランにしかすぎないですね(笑)。
>ARP さん
>「五式戦車の技術を応用した四式戦車」てぇのが一番しっくりするとです。
まさにそうですね。
これを戦後リファインしたのが61式戦車になるわけですね。
(無題) 投稿者:めけけ 投稿日: 1月11日(木)01時31分48秒
>むーさん
ちょっと難しいですが、また新しい研究にも手を染めて見ようかと思います。
戦マガ85年5月号に曽根氏が、昭和18年9月23日、下丸子工場でチリ車の模型審査と設計計画の研究会が開かれ、その内容と後日おこなわれた詳細な技術検討の記録が三菱に残っていると書いています。ぜひ読んでみたいのですが、おそらくまだ未公表だと思います。85年以降のチリ関連の著述でそれが反映してそうなのはPZの図面くらいでしょう(別ソースかも)。だれか調べて見せてください(^^)。
九九式8糎高射砲 投稿者:落馬童子 投稿日: 2月 5日(月)20時24分12秒
ところで本砲のチリへの搭載案ですが、どこまで真面目に検討なされたのでしょうか? チリ用の車載型が計画されたとの記述は有名ですが、そのわりには詳細が掴めません。 九二式10糎加濃の車載型や試製10糎戦車砲、カト砲等は具体的な記述や資料が現存しているのに比べ、こちらは全く何も確認出来ずにおります。 それとも、「そんな提案も出されてはいた」程度のモノだったのでしょうか?
あれは、海軍砲ですよ 投稿者:あきんど 投稿日: 2月 6日(火)16時40分48秒
落馬童子さん
>九二式10糎加濃の車載型や試製10糎戦車砲、カト砲等は具体的な記述や資料が現存しているのに比べ、こちらは全く何も確認出来ずにおります。 それとも、「そんな提案も出されてはいた」程度のモノだったのでしょうか?
これらの戦車砲は実際に試作されて、搭載され、実験されていますよね
それに対して、九九式八糎高射砲改の場合は、試作されたどうかも怪しいですし
あくまで計画レベルであって、具体的な資料はあまりないと思います。
投稿者:落馬童子 投稿日: 2月 6日(火)23時16分46秒
>あきんどさん
>>九九式8粍高射砲改
やはり具体的に進められた計画ではなかったのですね。 チト/チリに関してよく独戦車の影響が云々されますが、どうせならばティーガーTの備砲の同心式駐退器や砲架を参考にした本格的な車載型が計画されていれば、などと適わぬ夢を追ってしまいます。
投稿者:むー 投稿日: 2月 7日(水)01時34分44秒
>落馬童子 さん
>ところで本砲のチリへの搭載案ですが、どこまで真面目に検討なされたのでしょうか?
我々の手に入れられる資料として「日本の戦車」、PANZER、戦マガに記載されている事位しか解らない為、
あくまでも仮定の話になります。
どっかにそのものずばりの1次文献でも出てこないでしょうかね。
相模工廠や第四技研関係者の元や三菱あたりに資料があると良いのですが。
(無題) 投稿者:めけけ 投稿日: 2月 8日(木)01時07分27秒
>SKC30
P誌92/9 71頁にC35海岸砲が載っています。九九式八糎高射砲とはまるっきり別物ですが3本の抽筒子が類似しております。前から考えていたのですが、だれか九九式まんま(上部3本の駐退複座機)のチリ8糎フィクションモデルを作りませんかねえ。いや、ただ五式戦車砲の拡大は見飽きただけで、後座量や砲耳位置の問題、しかも芸が無いのはわかっております。
繰り返しになりますが、チリ関係の開発関係資料は三菱にあるそうです(1985年現在...)。近所またはプロの方、ぜひ取材し、公表してください。どうかお願いします。
投稿者:落馬童子 投稿日: 2月17日(土)16時59分52秒
>あきんどさん
>>五式7糎半戦車砲T型搭載のチヌ砲塔
「大砲入門」P379に記述がありました。 以前ご説明下さったのはこれについてだったのですね。 勉強になりました。
チリ車の考察(最新版) その1 投稿者:落馬童子 投稿日: 3月 5日(月)12時00分06秒
>ソフト面について
>>チリ車の制式化/88o砲換装
「大砲入門」に、二十年度以降の五式戦車砲の調達は全てU型とする旨の記述がありました。 また20年度の試作/生産予定リスト上に、他の試作車輌の名はあってもチリ車の名は無いそうです。 これらの事実から、チリ車は試作1輌の製作のみで、以後の量産予定も、ましてや88o搭載型の試作予定も存在しなかったと思われます。
特に88o換装案の否定については、10cm対戦車砲、同戦車砲、カト砲には試作の実物や具体的な計画名が存在しているのに比べ、九九式高射砲の車載化に関しては何の痕跡も掴めない現実からも裏付けされます。 思うに九九式高射砲の車載化には何か技術的な問題が在ったのではないでしょうか? より重く大きい九二式加農の改造は実現しておりますし、兵科が異なる事に因る妨害を取り上げる意見も有りますが、四式高射砲を転用の際には問題は起こっておりません。 もしくはその砲威力や取り回し等を含めた総合戦力が五式戦車砲に及ばなかった、とも考えられます。
>>チリ車の試作意図
当時の軍の感覚からしてチハ/チヘ車の後継とされていたのは、まさにチヘ車を一回り強化した様な全備20t級57o版チト車でした(具体的な仮想的はT34/76、十七年半ばの時点ではM4の情報は少ない)。 ほぼ同時期のチリ車の構想時(おそらくは十七年末頃)では独X/Yの影響も考えられず、M4の脅威にも接しておりませんから、全備30t級(計画)の75o長砲身戦車(当時の軍の感覚では重戦車)を制式な配備を念頭に計画した可能性は低いと思われます。(あくまで「中戦車」とされたのは諸外国の趨勢を省みてではないでしょうか?)
大口径長砲身主砲、半自動装填装置、砲塔バスケット、応急とはいえ方針に外れるガソリン発動機、これらの新機軸に溢れたチリ車の特徴を保守頑迷な上層部が(戦況の逼迫以前に)受け入れ得たのは、本車の本来の製作意図が「実験車」であったからではないでしょうか?(チト車と同時期の計画とゆう事からもそれが伺えます。チハ車、チニ車の関係とは異質のモノです)
>>結論
勿論、本車の完成が近づいた戦争末期、列国の強力戦車の登場を受け、その戦力化が真剣に検討されたであろう事は想像に難くありませんが、各種資料の記述の通り軍配はチト車に挙がった模様です。 つまりは二十年八月十五日以降の展開が有り得たとしても、チリ車が量産される事も、88oへの換装も実現しなかった、との結論になります
チリ車の考察(最新版) その2 投稿者:落馬童子 投稿日: 3月 5日(月)12時02分44秒
>>チリ車の残した物
しかしチリ車関連の全ての計画が破棄された訳では無く、イージーエイトやファイヤフライ、M26、JS2/3への対抗の為、鋭意開発中のより強力な砲兵装のプラットホームとしてはチト車よりチリ車の車体規格が選ばれました。 次期主力戦車たるチト車の派生車輌で判明している計画が1種(十糎対戦車自走砲)のみであるのに対し、チリ車からは数案の計画が生まれています。 十糎自走加農砲、加農砲戦車ホリT/ホリU(これらは二十年以降の生産計画中に正式に含まれております)、そしてチリU型です。 チト車が元々は全備20t級57o砲搭載の前提で設計されたその素性を拭い切れない事から、より発展性の見込めるチリ車体をディーゼル化した物とチヌ/チト系共用の五式戦車砲U型用砲塔を組み合わせた本車こそ「生産型」チリ車なのだと思えます。(まさに和製パンターU!と持ち上げておきます。)
>ハード面について
>>チリ車の砲塔容積
前述の様に88o換装案は具体的な計画ではなかったと思われますが、となりますとその様な不確定な案に基づいての砲塔の大型化も否定されます。 大型化の理由として挙げられるもう一方の意見として半自動装填装置の装備が有りますが、「大砲入門」中に五式戦車砲T型をチヌ砲塔に適合する様に改造を実施したとの記述が有り、チヌ砲塔に搭載可能であるのならばこの線も否定されてしまいます。(もっともこの「改造」とは同装置の撤去を意味するのかもしれませんが...) また、同装置の装備に因る大型化であれば、それは主に砲塔幅にのみ反映されるのではと思われますが、チリ車に於いては砲塔長も長大になっております。「横幅に対応しての釣り合いだ」−と言われますとそれまでなのですが、釣り合いとゆう考え方ならばそれはむしろ車体長に対応させて砲塔長を増大させたのでは、と推測します。 無論将来の拡張性を見込んでの事でしょうが、その様な具体的な意味の付与は後付けに近いモノで、88o砲云々の伝承はこれに尾鰭が付いた結果ではないでしょうか?
>>チリ車の車体長/重量
チリ車の車体が長大であるのはその搭載発動機の選定に起因しています。 同程度の出力であるのにガソリン機関のチリ車よりディーゼル機関のチリ車U型の方が全長が小さく軽いのは、両機関の特性を考えれば正反対の結果と言えますが、これには理由があります。 ディーゼル機関がガソリン機関より大きく重いとゆう捉え方は、あくまで同一用途/規模のエンジンであるとの前提での話です。 つまりこの場合は両者が同水準の性能を目指して設計された車輌用のエンジン、であったならば大概は一般的な認識の通りの結果が車体に反映されるとゆう事です。 しかしチリ車の搭載発動機にはこれが当てはまりません。 本車の発動機は本来、より高出力を発揮し得る性能規模の旧式航空用発動機を地上運用に適した安定性を与える為にデチェーン(出力低減)を施した物です。 その為サイズ/重量ともに車輌用に新規設計されたそれと比較した場合過分に大きく重い物となっています。 加えてチリ車には中間冷却器が付加されている事も一因です。(チリ車U型では砲塔の大幅な小型化及び車体の短縮が行われ、当然これらの要素はチリ車の装甲厚から考えて重量軽減に大きく影響を及ぼしておりますので、U型のディーゼル発動機の方が小型であるのに、重量の面では遥かに重い可能性も有ります)
以上、真に主観的な見解ではありますが、皆様のご意見を頂けましたならば幸いです。
チリ車とか 投稿者:新日本機甲 投稿日: 3月 6日(火)14時00分56秒
落馬童子さん:チリ車の主砲には99式8糎高射砲改が予定されていたとか言う記述を読んだ事が
有り、主砲に名前がある以上搭載予定が有ったんだろうと漠然と考えていました。この名前「99
式8糎高射砲改」自体ガセだったんでしょうか?
チリ車の考察 投稿者:Taki 投稿日: 3月 6日(火)20時54分08秒
さて、チリ車の件ですが、88mm搭載の計画があったと「日本の戦車」に書いてあるのですから、あることはあったのでしょう。ただし、それは設計者の思惑で正式な計画ではなかった可能性はあります。例えば、チハの場合でも開発側では47mm砲搭載を考慮してターレットリングを大きく取ってますが、これは57mm砲で十分と考えていた用兵側では計画していなかった事です。
チリの生産予定がないのは、たとえ88mm砲に変更してもJSやパーシング相手には4式と大差なしと判断されたからでしょう。これらの重戦車対策としては10センチカノン砲が予定されており、チリはその自走砲車体として使用される事になったのだと思われます。
いずれにしても戦争末期の話なので、正式計画と言ったところでどれだけ実現可能性があったのかは疑問ではありますが。
RE:この車両は解明済でしたっけ? 投稿者:新日本機甲 投稿日: 3月 7日(水)00時03分03秒
Takiさん:
>チハの場合でも開発側では47mm砲搭載を考慮してターレットリングを大きく取ってますが、
この話は有名ですがチハ車とチハ車改は砲塔の回転中心が異なりますので簡単にチハ砲塔を載せ変えてチハ車改が作れるとは思えません。ターレットリングを大きくしたところでチハ→チハ改へ改造作業工程の軽減になんら寄与していないのではないでしょうか。第一、1式47粍戦車砲の先祖たる試製97式47粍砲ですらチハ車竣工当時研究中だったのですから話が合いません。採用されるかどうかも分からない火砲のために主力戦車の設計を変更、何という先見性。この話は戦後作った作り話ではないかと勘ぐっております。
落馬童子さん:
丸別冊「写真集日本の戦車」160ページ、チリ車の解説に「終戦時、チリ車はチト車を整備する関係上採用しない事がきめられていた」と有ります。
チリについて 投稿者:あきんど 投稿日: 3月 7日(水)01時23分42秒
チリの砲塔は、元々、五式戦車砲搭載で設計されています。
当初のチリには半自動装填装置ではなく、自動装填装置の搭載を予定していたはずです。
しかし、小型化ができなかったために、半自動装填が代替的に搭載されたものです。
よって、九九式八糎高射砲改の搭載を想定して砲塔を大型化したわけではありません。
また、九九式八糎高射砲の搭載の件についてはチトの火力を増加させるために長五七粍戦車砲から五式戦車砲に転装したように、
火力増加を目的として、九九式八糎高射砲の搭載を検討したものと考えられます。
それと、これは記憶モードで自信がないのですが昭和19年度の軍需動員計画によるチリの生産予定数は確か5台です。
そして、チトも5台しか予定していなかったはずです。
10糎カノン砲戦車も5台、その他の中戦車や軽戦車は生産を中止ということになっていたはずです。
航空機の生産に資源を割り振るためということになってます。
実際には昭和20年になってもいろいろと戦車を作ってますけどそれは、あくまで18年度動員計画の残りや改造試作車だけです。
まあ、作りたくても資源が尽きて生産が出来なかったということですね(TOT)
これらのことを考えると、九九式八糎高射砲の搭載の検討は、
対戦車火力増強のため検討はされたことは間違いないと考えますが
それは、あくまで開発段階のことであって実際の搭載は、戦局から考えて無理と判断されたのだと考えます。
帝都防空の要!! 投稿者:あきんど 投稿日: 3月 7日(水)01時34分26秒
更に
九九式八糎高射砲は、三式十二糎高射砲とともに帝都防空の要です。
帝都を始め、日本本土各地が空襲で苦しんでおり少しでも、高射砲が欲しいこの時期に
しかも有力な高射砲であるこの砲を戦車砲に転用する暇はありません。
投稿者:めけけ 投稿日: 3月 7日(水)02時18分31秒
あきんどさん、
まったく同感ですが、チリの生産予定数は加登川幸太郎著「帝国陸軍機甲部隊」だと思うのですが、確かにそうなんですが、ちょうど戦史叢書「陸軍軍事動員<2>」を見てました。これがあくまで昭和19年度主要軍需品整備基準(案)なのでして、大幅な更改が加えられる前とされており、ちょっと検討が必要と思われます。また同書を見ますと八糎高は地上兵器の重点整備の筆頭で、本来の用途に作っても作っても足りない状況ですので、やはり戦車砲への転用は簡単にはいかないと思います。無論、だからといって新開発ならいいというのも官僚的で納得できませんが...
お応えを頂き有り難うございます。 投稿者:落馬童子 投稿日: 3月 7日(水)09時33分58秒
>>新日本機甲さん
>99式高射砲改
他の転用砲では九〇式野砲改、四式高射砲改、九二式加農砲改と言った呼ばれ方をされていませんので、この「九九式改」と言うのは解説記事中に筆者が用いた便宜上の造語なのではないでしょうか? 正式な試作名であれば「試製八糎戦車砲」とされたのでは、と考えます。
>丸クウォータリー「日本の戦車」P160上段チリ車写真付属キャプション
あくまで私な見解なのですが、列強の新型戦車の出現から本来は実験車的な色彩の強いチリ車を実戦力として整備する計画が急遽持ち上がりはしたが、半自動装填装置の完成遅延やチト車との総合的な比較の結果を受け、より状況に適したチト車の戦力化を阻害せぬ様、逼迫した生産状況に鑑み見送りとなり、そして更なる装備の向上としてはチト車とチリ車を統合した様なチリ車U型が次の(結局は最後の)装備主力戦車として検討を行された、最終的な方針はこの様なものであったのではと考えております。
>>Takiさん
>チハ車ターレットリングとチリ車砲塔容積に見られる設計思想
「47mm砲搭載を考慮してリングを大きく取った」=将来47o砲塔が計画された際に、それに適合したリング径を取れる様にチニ車とは違い戦闘室の平面積を大きく確保した、88o砲搭載は正式な計画ではなくても、このチハ車設計の際と同様な、設計者の発展性に関しての思惑が働いた結果がチリ車の砲塔容積にも反映された、との見解なのですね。
続きです。 投稿者:落馬童子 投稿日: 3月 7日(水)09時35分25秒
>>あきんどさん
>装填装置
「自動」と「半自動」、私はこれをその都度の表記/表現の違いと捉えておりました。 しかし、あきんどさんの見解では、五式戦車砲の当初案は「自動」装填装置を装備予定で、チリ車の砲塔容積はこれに因って決定づけられた。 しかし同装置の完成の見込みが立たず「半自動」装填装置に変更となり、五式戦車砲T型はこれを装備となる。 この「半自動」装置はさほど嵩張らず「大砲入門」の記述の様にチヌ砲塔への搭載も不可能ではない。 更にチト車向けの五式戦車砲U型はこの「半自動」装填装置をも撤去し平衡錘を付加するなど一部補器を改めたものである。 この様な理解で良いのでしょうか? であるのならばこれまでの認識を改めます。この装填装置関連で何か良い資料をご存じでいらっしゃいましたらご教授頂けないでしょうか、宜しくお願いします。
>九九式高射砲の転用に対する抵抗
ご説の通りと私も考えますが、であるのならば何故、期待の「新七高」−四式七糎半高射砲のそれは上手く運んだのでしょうか? こちらの方が期待度も重要度も高く生産数も極端に低いのにも拘わらず、です。 この点が不可思議でなりません。(戦車砲のみならず対戦車砲型へも枠を押さえられています。 最もこの枠は後に戦車砲へ向けられていますが。 対戦車砲は九四式山砲系の改造砲とタ弾で代用する考えだった用です。)
>昭和十九年度軍需動員計画
本計画はその後大幅な改訂を余儀なくされております。 その後、航空機増産はその後戦闘機優先に、更に特攻機へと変転し、戦車の開発/生産も誰もが本土決戦を意識しざるを得なくなった為に再び強い関心が払われる様になります。 チヌ車の本格整備も本計画の後ですし、チリ車は一輌のみとなり(器材はホリ車等へ流用されたのでしょう)、カト車を始め幾つかの新案が提案されております。 また、海軍の例を見ても大本営や軍需省、更に軍内部に於ける関係各所等、処によってその構想は大きく食い違っており、そしてその方針が徹底され得無いのが当時の日本と言う国ですから、計画中止の下達を受けても何かと名目を作文の上で作業が続行される事も有る様です。
一部だけレス 投稿者:あきんど 投稿日: 3月 7日(水)20時09分40秒
落馬童子さんへ
>期待の「新七高」−四式七糎半高射砲のそれは上手く運んだのでしょうか?
生産ラインの関係と考えます。
>こちらの方が期待度も重要度も高く生産数も極端に低いのにも拘わらず、
これがよくわかりません。
何故、四式七糎高射砲が期待度と重要度が高いのでしょうか
>戦車砲のみならず対戦車砲型へも枠を押さえられています。 最もこの枠は後に戦車砲へ向けられていますが。 対戦車砲は九四式山砲系の改造砲とタ弾で代用する考えだった用です。
米軍やソ連の戦車に対抗するため早急に対戦車砲や戦車砲に転用できる火砲を選定してしていました。
いろいろ書いてもきりがないのでとりあえず高射砲だけで記述しますが
まず、対空戦には、若干旧式化した八八式七糎高射砲を考えていたようです。
しかし、これは駐退機が水平射撃だと数発で壊れるのでダメだったようです。(TOT)
後座長も極めて大きく、その改造に極めて時間がかかるため諦めざるなかったようです。
九九式八糎高射砲は転用できたようなんですが、機構上、野戦高射砲じゃないから機動性が劣り、そのまま使用できないのですが
後座長が小さいため、車載なら可能となったんですけど数が少ない三式十二糎高射砲の他に高高度防空戦に使用できる
有力高射砲として必要だったということだと思います。
では、何故、四式七糎高射砲が戦車砲に転用されたかというと
四式七糎高射砲は、新型砲であったため量産体制を整えることができなかったことが逆に戦車砲へ転用されることができた理由だと考えます。
チリ、ホロ、、話題豊富だなあ 投稿者:あきら式改 投稿日: 3月 8日(木)01時40分11秒
>落馬童子さん
チリ車の私的見解、私もあのチリ車は実験車的なものだったという説には賛同できます。当時の日本戦車に見られない装備が盛り込まれていますし、ガソリンエンジンを積んだのも、とりあえず動く形にするためだったのでは?もしかしたら、独のOシリーズの様に軟鋼製だったりして(話、飛躍させすぎですか?)
5式75mm戦車砲は、あきんどさんの言われているとうり、防空用には、旧来の高射砲を重視し、生産拡大の見込みがあまりないために4式高射砲が転用された、というのがまさしく的を得ていると思います。(これこそ私見ですが4式高射砲は他の高射砲より期待されるほどの能力はなさそうですが)
88mm砲の搭載案は戦後に誰かが言った(書いた)憶測のものが今まで伝承されてきただけのもので、そんな計画はなかったと私は思っているのですが。
とりあえずRESです 投稿者:むー 投稿日: 3月10日(土)04時36分36秒
>落馬童子さん、新日本機甲さん、Takiさん、あきんどさん、めけけさん、あきら式改さん
>>>チリ車の制式化/88o砲換装
> 「大砲入門」に、二十年度以降の五式戦車砲の調達は全てU型とする旨の記述がありました。
> また20年度の試作/生産予定リスト上に、他の試作車輌の名はあってもチリ車の名は無いそうです。
昭和20年3月31日相模陸軍造兵廠作成の軍事機密「昭和20年度作業計画」には確かにチリ車の名前は出ていません。
ちなみにチト車は翌年3月までに三菱で170輌、神戸製鋼で30輌の生産予定があります。
> これらの事実から、チリ車は試作1輌の製作のみで、以後の量産予定も、ましてや88o搭載型の
>試作予定も存在しなかったと思われます。
すでにあきんどさんやめけけさんからRESがついていますが、
加登川幸太郎氏の「帝国陸軍機甲部隊」によると昭和19年軍需動員計画の整備計画数でチト車5輌、チリ車5輌、ホリ車5輌が挙げられています。
また88mm砲への換装ですが部内のペーパープランとしてはあったのではないでしょうか?
なにせ原中将は昭和15年の山下ドイツ視察団に同行しています。その時ティガーIを見たかも知れませんからね(^^)。
>しかも有力な高射砲であるこの砲を戦車砲に転用する暇はありません。
あきんどさんの仰る通りです。
四式七糎半高射砲の具体的生産数は忘れましたがごく僅かだったはずです。
戦車砲に転用できた数は更に少数だったでしょう。
>チリ車についての考察
大変よくまとまっていますね。
特選過去ログとしてHPに再録させていただきます。
少しだけのレス 投稿者:あきんど 投稿日: 3月11日(日)01時02分21秒
四式七糎半高射砲の具体的生産数は、70門程度ですね
それと戦史叢書の陸軍軍需動員計画<1><2>を調べてみました。
それによると 九九式八糎高射砲は、大阪造兵廠や名古屋造兵廠において重点兵器に指定されます。
激化する空襲に対抗するための有力対空火器として生産特化されていたようです。
投稿者:むー 投稿日: 3月12日(月)01時15分42秒
>あきんどさん
>四式七糎半高射砲の具体的生産数は、70門程度ですね
たった70門ですか。 生産数が少なすぎます(T_T)。
>戦史叢書
陸軍軍需動員計画<1>は持っているのですが、<2>は未入手です。 探しにいかなくては。
>九九式八糎高射砲は、大阪造兵廠や名古屋造兵廠において重点兵器に指定されます。
日立製作所史によると昭和18年7月大阪造兵廠納 九九式8.8糎高射砲3門完成と記載されています。
この頃から量産化が可能となったのでしょう。
本ホームページに掲載されている文章及び画像の無断転載はお断りします。